佐藤ひろ美 半生記 第3回:サティアグラハ、そして出会い

 1990年に短大時代の音楽仲間と上京してきた佐藤ひろ美だが、いきなり音楽活動が頓挫する。すぐにメンバーの一人が脱退してしまうのだ。残されたのはギタリストとキーボード担当の佐藤だけ。バンド活動を目指していたふたりはメンバー探しを始める。
「バンド活動への強いこだわりがあったんです。やっぱりバンドブームを経験していたから。でも、なかなかメンバーが集まらない。結局サティアグラハとしてのメンバーが揃うまで2年かかりました」
 メンバー集めに時間がかかったのは、音楽活動へのこだわりから。ポップスをベースにワールドミュージックを加えた独自の音楽性に共鳴してくれるミュージシャンを探していた。
「せっかく一緒にバンドを組むんだから、演奏する音楽が好きなメンバーを集めたかった。“本当は別の音楽が好きだけれど、このバンドではバンドの音楽をやる”という人は違うと思っていました。一番難航したのはベーシスト。それでも1992年にはメンバーも集まり、活動がスタートしたんです。結局その時のメンバーは最後まで変わりませんでした」
 ついに始動したサティアグラハ。メンバーを集めた2年間で書きためた楽曲をバンドアレンジし、ライブハウスやレコード会社へデモテープを持ち込む。J-POPをベースにワールドミュージック的なアレンジを盛り込んだサティアグラハの音楽性は、現場スタッフには好意的に受け取られた。
「『曼荼羅』や『エッグマン』では店長さんにも気に入ってもらえて、活動休止まで7年間、ずーっとライブをさせてもらいました。レコード会社もディレクターさんに気に入ってもらえて契約までは行くんです」
 ところが「いざCDを」という段階でGOサインが出ない。現場スタッフの興味を引いた音楽は、残念ながらセールスの可能性を認められなかった。
「契約してもらってもCDが出ないで、そのまま契約期間が切れる。そんな繰り返しでした。当時はバンドブームも終わって、avexやビーイング系など綺麗な打ちこみ系ポップスが全盛期。サティアグラハの音楽性の正反対の音楽が人気だったんです。でも、私たちは自分たちの好きな音楽を変えたくなかった」
 結局サティアグラハはメジャーデビューすることなく、その活動を終えることとなる。

 自分たちの音楽性を変えたくなかったと言う佐藤ひろ美。しかしライブ活動を始めてすぐに最初の転機が訪れる。佐藤ひろ美のボーカル専任だ。
「最初は私とギターの二人で、それぞれボーカルを担当していました。歌わない曲では、私はキーボードやアコーディオン担当。そんな時にライブハウスの店長さんが「女性ボーカルメインにしたら可能性が広がる」ってアドバイスしてくれたんです。そこから私がボーカリストに専念して、もう一人キーボードを入れた6人編成になりました」
 シンガーとして再出発した佐藤ひろ美。このことが彼女の考え方に大きな変化をもたらすことになる。
「それまでは演奏者としてリーダーの求められるように歌ったり演奏したりしていた。自分やバンドをプロデュースするのは自分の仕事ではないと思っていたんです。でも自分がボーカリストに専念し始めることで、どういう歌い方がいいのか考えるようになった」
 佐藤ひろ美の柔らかなハイトーンボイスは、今でこそ多くのファンを魅了している。しかし当時、この声は彼女にとってコンプレックスだったという。
「バンドだったこともあって、もっと低いかっこいい声で歌いたかったa第2回:2001年編|第3回:2002年編第4回:2003年編第5回:2004年編
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