年代別コラム 第6回:2005年編

~自分から発信するクリエイティヴに目覚めた激動の1年~

前年にCMIを立ち上げて、2005年は本当に忙しい1年でした。デビュー2~3年目とは違う忙しさ。ただがむしゃらだったデビュー直後ではなく、たくさんのお仕事をいただいた上で、新しいことにも取り組まなければならなかった。そんな1年でした。

そんな中で印象に残っているお仕事を振り返ると……最初は『Angelica』。3枚目のアルバムで、2月24日にリリースされました。それまでの2枚のアルバムが、「佐藤ひろ美が歌ったゲームソング集」という印象でしたが、『Angelica』は12曲中6曲がオリジナルで、1stオリジナル・アルバムって感じですよね。オリジナル曲は作詞だけでなく、アレンジの方向性なども私が決めました。プロデューサーの中村さんに「佐藤さんの好きなようにやりましょう」って言われたのも大きいかも(笑)。「アーティスト・佐藤ひろ美」というスタイルが出せたアルバムだと思います。
前回『Angelic Symphony』を歌うと決まった時に、「ファンに受け入れてもらえなければ、もうこの業界で歌って行けなくなる」と言いました。その一方で、この歌が成功すれば、新しい世界が広がるとも思っていたんです。
そして『Angelica』。オリジナル・アルバムを出せただけじゃなくて、かっこいいPVや東京、大阪、札幌、浜松のゲーマーズさんでのイベント、そしてゲーマーズ秋葉原本店前の大きな看板。あの看板は、嬉しくて母を呼んで見てもらっちゃいました(笑)。木谷さん、そしてゲーマーズさんには、本当に大切にしていただいたんです。『Angelic Symphony』を頑張って、本当に良かったなあって思いました。

CDといえば『SugarSeason』も2005年でした。春夏秋冬をコンセプトに、季節ごとに4枚のマキシ・シングルをリリースするという企画なんですが、私が初めて作曲に挑戦したんです。
企画を出したのはCMI代表の上松範康くんと、マネージャーの若林豪さん。「新しい会社になったことで、佐藤さんもシンガーだけじゃなくてクリエイティヴな方面でも武器を持たなきゃ」と言われたんですが、私は大反対したんですよ(笑)。ちょうど『Angelica』のレコーディングが遅れていて、『創星のアクエリオン』のアフレコも重なっていて。しかも作曲も声優も初めての仕事だから、もう一杯一杯でした。
そんな中で、4枚で8曲を作曲。しかもタイトルやジャケットのアイデアなども、全部自分で決めたんです。その間に様々な仕事もあるから、本当に大変。それまでもシンガー、作詞家、ラジオ・パーソナリティーと、仕事によって頭を切り替えていたんです。そうすることで、仕事に集中できる。作曲の時も同じなんですが、その切り替えが大変。きっと脳みその今まで使っていなかった部分を使うからなんでしょうね。
でも、今思えば、とても大事な経験でした。この後は作曲もするようになったし、『SugarSeason』でのセルフ・プロデュースが、今のアーティスト・プロデュースに繋がっていると思うんです。
それと、私から音楽の発信ができたこと。リバーサイドミュージックの頃は、いただいた曲を頑張って歌ってきた。それは以前もお話しした通り、作品やヒロインをアピールする歌だったんです。でもCMIになって、自分たちから発信することに挑戦したんです。それが最初に形になったのが『Angelica』であり『SugarSeason』。シンガーだけでなく、クリエイターとしての難しさと楽しさを知ることができました。

2005年の出来事で、もしかしたら一番大きいのは『創聖のアクエリオン』でリーナ・ルーン役で声優をさせていただいたことかもしれませんね。あんなに大きな作品が初声優というのは、本当に幸せなことです。
その前にNTTのコンテンツで朗読をさせていただいたことがあって、その時の音声データとボイス・サンプルを録音したものがあったんです。それが音響監督さんに渡ったらしく、オーディションに呼んでいただけました。もう「受かるわけがない」って思って、度胸試しのつもりで受けました。でも、オーディションは緊張でボロボロ。本当に自分に腹が立ったんです。
それが「合格したよ!」って言われて、あの時は本当に泣きました。子供のころに市民劇団に入っていた時から、お芝居の仕事をしたいと思っていたのが現実になったんです。
でも、声優は初挑戦でしょ? だから誰かに教わらなきゃって、大野まりなちゃんに相談したんですよ。そしたら「ああいうのは教わるもんじゃない。現場に行けば分かる」「優しそうな人を見つけて、傍にいろ」しか教えてくれないんですよ(笑)。シルヴィア役のかかずゆみちゃんは知り合いだったから、ずっと彼女のそばにいました。
現場はとってもいい雰囲気。私とアポロ役の寺島拓篤くんだけが新人で、あとはベテランや中堅の声優さんばかりだったので、色々教えていただきました。私が何にも知らないのを皆さんご存じで、本当に親切にしていただきました。
声優を経験したことで、歌にもいい影響があったんです。それは歌の表現力が上がったこと。それまでも「想い」を込めて歌ってきました。でも声優を経験することで、「感情を表現する技術」を磨くことができたんです。それまで歌うことに集中してきたのが、曲によっては想いをしゃべるように表現して、それをメロディにのせられるようになった。これで歌の表現の幅が大きく広がったんです。聴いていただいている皆さんも、「あれ?」と感じられているんじゃないかな?と思います。
それと、歌と違ってアニメのアフレコって、みんなでブースに入って一緒に録音しますよね。あの雰囲気が楽しかった。私自身、バンドやお芝居の様に、みんなで一つのものを作り上げることが好きだったんです。だから本当に楽しかったし、素敵な経験をさせていただいたと思っています。

振り返ると、2005年は本当にたくさんのお仕事をさせていただきました。もちろんCMIができたばかりということで、頑張っていたのもあります。でも、そんな中で、自分の心がどんどん疲れていっているのも感じていました。お仕事には恵まれていましたけど、「これでいいのかな? 5年後に40歳になるのに、このままで大丈夫なのかな?」という疑問がどんどん大きくなったんです。
そんな時、静岡にものすごく当たる占い師さんがいらっしゃるというので、相談に行ったんです。その方には自分がシンガーとか説明していなかったんですが、「あなたはこれから、若い人を育てるような仕事をする」って言われたんです。そして「今の名前だと仕事はたくさん来るけれど、人に裏切られたり、心が続かなくなるよ」と忠告されました。そのかわり「ひろ美」にすると、自分を認めてくれた人から、自分の器にあった仕事が来ると言われたんです。「自分の器を広げればいいんだから」と。
それで名前を「佐藤裕美」から「佐藤ひろ美」に変えたんです。「ゆみ」って読み間違えられることもあるしね、って。
おかげさまで、今は自分のペースでいいお仕事ができていると思います。それとビックリなのがプロデュースのこと。その頃は「若い子をプロデュースしよう」なんて思ってもいなかったんです。だから占い師さんは4~5年後のことを言っていたんですよね。もしかすると、そこで「あなたはこれから、若い人を育てるような仕事をする」って言われたことが心に残っていて、今の仕事になっているのかもしれませんけど(笑)。