年代別コラム 第2回:2001年編

 2001年のお話しをする前に、その前の年に罹った病気のお話しを少し(笑)。
 2000年にPCゲームの主題歌を歌わせていただいて、「これから頑張るぞ!」って意気込んでいた時に病気になりました。結核です。当然歌うこともアルバイトもできず、半年間お休みをしていました。その時に考えたのは自分のこれまでのこと。「私はこれまで、何かを一所懸命にやってきたことがあったのかな?」って。そう振り返ってきたときに、自分の中で覚悟が決まったんです。それまで「アルバイトをしながらでも歌の仕事をしていきたい」って思っていたんですが、「いつ終わってしまうかわからない人生なら、好きなことだけを本気でやっていきたい!」と考え直したんです。その好きなことが“歌”。
 「病気が治ったら歌だけやっていこう。それだけを本気で死に物狂いで努力していこう」
 それまでどこか甘さがあったんです。それを断ち切るきっかけになったのが結核でした。

 2001年といえばねこねこソフトさんの『みずいろ』。主題歌を歌わせていただきましたが、この時の経験は今の私にとっても大切な宝物になっています。
 レコーディングは前の年。病気が治って最初のお仕事だったので、ものすごく気合いが入っていました。それが編に力の入った歌い方になっちゃっていて、最初は作品の雰囲気に合わなかった。それをレコーディング・プロデューサーの虻川治さんが上手にプロデュースしてくれたんです。完成した曲を聴いた時はビックリでした。そこにあったのは、まろやかで優しい、私が知らなかった佐藤ひろ美、そして今の佐藤ひろ美の原型になった歌声だったんです。
 私の歌を「透明感のある歌声」と紹介してもらうことが多いのですが、自分では気づいていない魅力でした。虻川さんは、そこを見抜いてくれた。私以上に周囲の人が、私の良さを見てくれていたんですよね。

 『みずいろ』ではイベントでも貴重な体験をさせてもらいました。それはラジカセとマイクだけでのミニライブ。最初にお話しを聴いた時は信じられなかった。アマチュア時代のライブは、音響やスタッフがしっかりした会場でやらせてもらったんです。だから本当にびっくりしたし、歌えるのか不安でした。
 でも、そんなミニライブでも、たくさんの人が聴いてくれて、ちゃんと届いている実感があった。それが本当に嬉しかったんです。サティアグラハでは聴いてくれる人もいなくて、届いている実感なんか感じられませんでした。「これが歌うということなんだ、ようやくこういう場所にたどり着いたんだ」って感動しました。シンガーとして、歌を伝え届ける大切さ、聴いてくれる人に感謝する気持ちを初めて知った。そして気付かされたのは、そういう気持ちを知らなかったから、ずーっとデビューできなかったんだな、ということでした。

 2001年は、他にもたくさんの歌を歌わせてもらいました。2000年よりバラエティーも豊かなラインナップ。『フーリガン』は串田アキラさんの曲を歌わせてもらえて、本当にテンションが上がりました。この曲で、自分のキーのレンジの広さを知ることができました。
 『SweetKiss』や『ニャンだふるわーるど』も新しいチャレンジ。アイドルソングや女の子向けアニメソングを意識して歌いました。こういう歌も歌えるんだなって、楽しくチャレンジできましたよ。でもタクティクスさんは私のことを、どんなシンガーだと思ってたんでしょう(笑)。
とにかくたくさんの曲をいただきました。楽しかったなあ。1曲1曲、新しい課題をクリアしていくような面白さを感じていました。

 そんな中でファーストアルバム『Looking for sign』の話がまとまったんです。最初は虻川さんとの雑談で「曲が増えてきたからアルバムが出せるかも」っていうくらいでした。それが話しが動き出して、オリジナル曲を作るっていう話題が出てきて「こりゃ本気だ」って(笑)。でも虻川さんは音楽業界をよく知っていたので、「CDは発売されるまではどうなるか分からないから、浮かれた気分でいちゃダメだよ」とくぎを刺されていました。
 でも本当は実感のない話だったんですよ。自分はスタジオミュージシャンとしてゲームやアニメの主題歌を歌っていくシンガーになろうと思っていました。だから自分の名前が前に出るなんて考えてもいなかった。それがいつの間にか自分名義のアルバムが動き出して、写真まで掲載されて……。ずーっとピンとこなかったんです。
 オリジナルの2曲、『君と僕のメロディー』『through the blow and like a bird ~かがやく丘へ~』は、初めて作詞をしました。両方とも自分の気持ちを素直に書いたなあ。『君と僕のメロディー』は私の歌を応援してくれているみんなへの感謝、そして『through the blow and like a bird ~かがやく丘へ~』は今まで頑張ってきた自分への感謝。この頃から「感謝」というのが私の音楽の一つのテーマになってきたんです。
 曲も素敵でしたよね。『君と僕のメロディー』は景家淳さん。ポップスの天才です。みんなで一緒に歌えるメロディーで、今聴き直しても素敵な曲です。『through the blow and like a bird ~かがやく丘へ~』は河辺健宏さん。河辺さんのメロディーは優しくて素直でドラマチック。歌いやすく、心に残るんです。この曲は、そんな河辺さんの良さが全部入っている歌です。
 たくさんのメーカーさんの協力もいただいて、本当に素敵なファーストアルバムができたと思っています。『Looking for sign』は大切な1枚です。

 そういえば2001年といえば、クリスマスにキュアメイドカフェでライブをやったんですよね。お店がオープンした年で、コスパの松永会長が「これからいろんなイベントもやっていきたいから、ぜひ使ってよ」って言ってくれたんです。この頃は松永会長にもたくさんサポートしてもらっていて、イベントの衣装なんかも貸してもらっていたんですよ。松永さん、私がネコミミをつけるときに、5分くらい真剣に一を直してくれたりして(笑)。
 このライブは、お店いっぱいにお客さんに来ていただけました。関係者の皆さんも足を運んでくれた、ギターは若林君だ(笑)。みんなのおかげで、素敵なライブができました。

 この頃は虻川プロデューサーと一緒にお仕事をしていたんですけれど、今振り返ると、私も虻川さんもゲーム業界について全然知らなかったんです。だから平気で音が来業界のやり方を色々と持ち込んだんですが、それを面白がって受け入れてくれる人がたくさんいたのが幸運だったのかもしれません。
 その原動力になったのは、虻川さんの情熱だったと思います。その情熱に共感した熱い人たちがどんどん集まって、私を盛り上げてくれた。感謝してもし足りない人たちとたくさん出会えたのが2001年だったと思います。
 そうそう、この頃虻川さんによく言われていたのが、「PCゲーム業界の堀江美都子になれ」という言葉。これは今でも私の目標だし、大切にしている言葉なんです。